私はゴミを着ているのだ
服を捨てながら思った事です。
小さい頃、服のほとんどはお下がりでした。長女だったけど知り合いの家の姉妹がめちゃくちゃお古をくれたのです。母は服代かからないし、趣味の合わない娘と喧嘩しながら買い物しなくていいしで助かっていたと思います。
母と趣味が合わないので、小遣いの中とか、服が足りない時に自己申告して自分で服を買う様になりました。買って貰ったものもちゃんとありますが、楽しい思い出とは言いづらいですね。どの場合も、安い服に流れやすくなります。
そんなこんなで貧乏性です。安い服万歳です。無印良品を愛用しています。
まだ着れる服は次に回したくなります。回ってきた服で育ちましたから、それが基準になってしまっているのです。
結果、気をつけても案外貯めてしまいました。
しかし、今回古着を売りに行って、目が覚めました。
毛皮がついたダウンや、ドレス、羽根のついたショール、トレンチコートといった高そうなもの(自分基準)を選んで、あとは袋の隙間を埋められるだけ埋めて、売りました。
その結果が160円です。何か一着が140円、のこりは重量計算で20円くらいでした。
高いと思ったものが、全然高く無かった衝撃。他のはさらに安いはず…
もちろん、古着は安く買い叩かれると知ってはいても、自分がいかに価値のないものを身につけているかを思い知る事になりました。
今後、安くて良い服を買うことをやめる気はありません。ただし、古くなった服やヨレてきた服を妙に大事にするのはやめようと思います。ゴミを見に纏う必要はないのです。対価分の価値を使い切ったら繊維資源としてリサイクルして貰えば良いのです。
今後、徹底してこれを推し進めます。
その為のシステム(とってもアナログ)も考えたので、実践したら報告します!
ネタの山を捨ててきた
絶賛引越準備中の庭師です。
総勢、9袋のゴミをやっと捨て終わりました。2時間くらいかかった気がします。そんなにものを増やすタイプでもないし、正直油断していました。ぱっと見何もない部屋だし。
しかし、蓋を開ければ出るわ出るわゴミの山。
まず、服だけで3袋分はありました。(一袋分頑張って売りに行ったら160円だったよ泣)
あとは書類がひどかった。ノート、ゼミ資料等。何でこんなの取ってあるの?という様なものばかり。次の古紙回収日は引っ越した後なので、普通のゴミとしてださざるをえませんでしたが…
そして皿だけでニ袋分。これはルームシェア解消時にもらった分が多すぎたんですね。後輩が半分くらい貰ってくれて心が休まりました。
他にもいっぱい捨てました。気づきもいっぱいでした。
ある意味、ゴミの山はネタの山です。ゴミは、そもそも手に入れた経緯があり、捨てられる理由があります。
きちんと復習して、あんまり物を溜め込まない暮らしをして行きたいと思います。
見えるようにすること-可視化と言う言葉を見直したい。
わかりにくいことを、目に見えて分かりやすい形にする事は重要だ。
持ち物をリスト化してみる。
仕事のToDoリストを作ってみる。
どれも物事をシンプル、かつ効率的にする為に有効な手段だ。
これを推し進めることを、私は否定しない。寧ろ推進する。私はこういう作業をしないといろんなことができないしね。
ただ、1つ、言っておきたいことがある。
"見える化"って言うのやめない???
私は言葉の使い方が変わっていく事は理解している。古風な言葉遣いが上手いわけではない。
しかし昨今の、この、見える化と言う言葉の氾濫には辟易している。
この言葉の、さも、最近こう言う手法は出てきたんですよ感や、私は今までやってなかったけどこの様に見せてるんですよ感がどーしても納得できない。
私たちには可視化と言う言葉がある!可視化しよう!いろんなことを可視化しよう!
見える、だと見たくなくても見えちゃう感もあるじゃないですか。可視化は見ることを可能にするだけなんですよ。そこには見る方の自発的な動機が含まれる様に思います。そっちの方が、見る方の尊厳が高められませんか?どうでもよいですか、そうですか。
もちろん、時と場合にもよりまして、演説であるとか、ラジオであるとか、"かしか"という言葉がわかりづらいときは使ってもいいと思うんですよ。言い換えの言葉があるのは便利ですから。(麻疹をした患者数を可視化したところ確かに減少していることが確かめられました、とかラジオで言われたら混乱しそうですよね)。
新しい言葉がでてくると、ちゃんと反発があるものです。でも"見える化"は割とすんなり受け入れられた様に感じています。
でも、私は嫌なんだ!好み、好みの問題です!私は可視化を使い続けますよ!
時にはこんな奴がいても良いのではないでしょうか、と言うお話でした。
放り出して空いた分は綺麗なもので満たそう
ひたすら家の中の物をゴミ袋に詰め続ける日々が続いています。
どんどん物がなくなる虚無感に襲われ、これはいかんということで綺麗なものを見に行ってきました!(ただの散歩写真集です。)
桜咲きましたね。
広瀬川、街中の川にしては美しすぎます。
やっと満開!!夕日に当たると生成りにうつりますね。昼間の青みの白の姿も撮りたいところ。
柳、咲いていた。これは予想外。
毎年だらーんと枝を伸ばす柳さんは凄いよ。
仙台はしだれ桜が多い。
良いカメラ持ったおじさんがめっちゃ写真撮ってて若干嫉妬。一眼レフいーなー。
ものの20分くらいの散歩でこれだけ見れたら贅沢ですね。他にも水仙やらチューリップも咲いてました。豪華絢爛の春がきています。
でも、もっと美しいものを見たんです。
帰り道、河原で野球をしている子供達が居ました。川岸の遊歩道でランニングしていたらしい背の高い青年がふと足を止め、子供達をみていました。ひょろっとした、ちょっと天パの頼りなさげな青年でした。その青年の背中に突然、なんとも言えぬ愛情と熱気を感じた瞬間、男の子が大きくバットを振りました。眺めていた青年は、ふっと力を緩めて、笑顔で立ち去りました。あぁ、応援していたのだ。きっとあの青年の中には、野球にまつわる素敵な想い出があるのでしょう。全部が夕日に包まれていて、あまりにも素敵な光景でした。
(お目汚し)
他人はは写真に撮れないんだ。だから描いてみたけど、うまくいかないですね。もどかしいなぁ。アニメーションにして欲しいくらい、今日見た中で一番美しい光景でした。
捨てたら捨てた分、良い物が入ってきますね。
巡りを良くする。
引き続き引っ越し中の庭師です。
道端にスミレが整列していました。
化粧品!
ギャップイヤーならぬギャップマンスを堪能しています。
引っ越し準備兼ねた断捨離に半分ほど手をつけたところで、不用品とごみあわせてゴミ袋10袋分出ました。
ゴミ屋敷だったのか、うちは!
まだまだ出そうです。恐ろしや。
今日捨てた中で一番心が痛かったのがこちら
割と高めです。合計したら1万円超えます。
アイシャドウは買ってから5年以上、アイライナーが4年、口紅が3年経過しています。
昔、背伸びして買ったやつです。
ほっとんど使ってません!
普段スッピンだから当たり前ですが。
持ってるだけで、すこーし女子力が向上したような気になっていましたが、もはや汚れてくすんで可哀想なことになっていました。
捨てることで、また新しい子が入ってきてくれると信じます!(化粧の方針固まるまでは安いの買おう…!)
今私はものの巡りを良くしています。巡りを良くしています…と念じてないと保ちません。
明日からもじゃんじゃか捨てて行きます。