who are you?

自分が何者かになっていく過程の記録。題は梨木香歩著裏庭の中の台詞から。

見えるようにすること-可視化と言う言葉を見直したい。

わかりにくいことを、目に見えて分かりやすい形にする事は重要だ。

持ち物をリスト化してみる。
仕事のToDoリストを作ってみる。
どれも物事をシンプル、かつ効率的にする為に有効な手段だ。

これを推し進めることを、私は否定しない。寧ろ推進する。私はこういう作業をしないといろんなことができないしね。


ただ、1つ、言っておきたいことがある。



"見える化"って言うのやめない???



私は言葉の使い方が変わっていく事は理解している。古風な言葉遣いが上手いわけではない。


しかし昨今の、この、見える化と言う言葉の氾濫には辟易している。
この言葉の、さも、最近こう言う手法は出てきたんですよ感や、私は今までやってなかったけどこの様に見せてるんですよ感がどーしても納得できない。


私たちには可視化と言う言葉がある!可視化しよう!いろんなことを可視化しよう!


見える、だと見たくなくても見えちゃう感もあるじゃないですか。可視化は見ることを可能にするだけなんですよ。そこには見る方の自発的な動機が含まれる様に思います。そっちの方が、見る方の尊厳が高められませんか?どうでもよいですか、そうですか。


もちろん、時と場合にもよりまして、演説であるとか、ラジオであるとか、"かしか"という言葉がわかりづらいときは使ってもいいと思うんですよ。言い換えの言葉があるのは便利ですから。(麻疹をした患者数を可視化したところ確かに減少していることが確かめられました、とかラジオで言われたら混乱しそうですよね)。


新しい言葉がでてくると、ちゃんと反発があるものです。でも"見える化"は割とすんなり受け入れられた様に感じています。

でも、私は嫌なんだ!好み、好みの問題です!私は可視化を使い続けますよ!


時にはこんな奴がいても良いのではないでしょうか、と言うお話でした。