who are you?

自分が何者かになっていく過程の記録。題は梨木香歩著裏庭の中の台詞から。

無力感と、虚構の世界

たまたま見た震災特集で、就活がために震災を振り返らねばならなくなっている震災遺児の大学生を特集していた。
彼は充実した毎日を送ろうとして、実際に送ってきた。
それでも、振り返らねばならない時も、そりゃあるんだと思う。

でも、きっかけは就活じゃなくて良いじゃん、と思った。
過去を振り返らせる就活、もうやめたらいい。
未来を語らせるのに、全部変わればいい。
その上で、自発的に振り返るのは仕方ないと思うけど、そこには自由度があるべきだと思う。
演出の問題かもしれないけど、彼は、あんな風に振り返るべきじゃなさそうに見えた。

 

何もできなくて、パソコンの前でただ呆然としていたあの日から6年。
東北との関係性もできたけど、それでも何もできないままの6年。

あの日は、今日みたいにやたらと晴れて、日差しが暖かくて、平和だった。

目の前の現実も、画面の向こうの現実も全部嘘みたいだった。

 

あれから、たくさんのことがあった。

わたしは無意識に、選択基準を変えた。

信じられないくらい、行動力を発揮した。

結果、今、楽しく生きている。

でも全てが、今でも、なんだか嘘みたいだ。

全部、嘘みたいなんだ。

 

あの日が来なかった今の方が、本当の自分なきがする。

結局無力であることだけが、変わらず今ここにある。

 

エンパス

人とたくさんあった(五日でしっかりいつも会わない40人くらいと交流した)ら、ヘトヘトになって三十五時間寝込んだ。

 

今も頭が痛い。

 

人と会って疲れた

で検索したら、エンパスという言葉にたどり着いた。共感しやすいらしい。助けられないのに助けようとするらしい。

確かにその傾向はある。助けようとはしないようになったけど。

 

極めつけ

念はくび、肩、背中からはいってきます。のひとこと。

まさに今そこが痛い。ぐぬぬ

 

たまたま偶然の一致であっても、心安らぐならスピリチュアルな方に走ってみるかと思う今日この頃でした。おまじないはそれっぽいから聞くというのが持論です。

 

よし、塩盛ろう。

 

 

http://cocoquet.hatenablog.com/entry/2016/02/25/200000

ポップに書いてくださって、ありがとうございます。

 

 

考えろとか言われても困る。

もっと考えろとよく言われる。

 

よくわからないので、私って思考停止してますか?と聞いてみた。

 

いや、ちがう。とのお答え。

 

ちゃんと聞いてみると、答えの無いところに対して考え続けろと。

君は簡単に答えを求めすぎだ。

 

と言われる。

 

困る。だって考え続けているから。

動くには何か決めなきゃいけないから、その時その時の答えを表明しているだけなのに。私のぐちゃぐちゃな考えを披露したら良いのか?

 

私の答えがその時求められるクオリティに達してないならそう言ってくれたら良いのに。

締切のある仕事の中でどうやったらそのクオリティに達せるのか、そこは相談に乗って欲しいのに。

 

せっかくのコメントやアドバイスなのに、次に活かせない。

 

考え方の方針が違う人と話すのは、中々難儀な事だと思う今日この頃。

明日の自分

毎晩、眠りにつくのが怖い。

 

だいたい悪い夢で目がさめるし。

その後寝付いたら、次の瞬間は遅刻確定の時間な事ばかり。

眠れて幸せなことなんて、ここ10年ほとんどない。

気絶するように、違う世界へ。

 

次の朝の自分を、大半の人は無条件に信じて眠りにつくのだろう。

私は、明日の自分を信じられない。

信じられないまま、恐怖に襲われながら眠るんだ。

 

心地よくて幸せな明日を信じていた頃が私にもあったと思う。

その頃、私は朝が好きだった。

いや、今も好きなんだ。

 

 

朝の清冽な空気よ。

 

 

 

毎朝、あの喜びに出会うことを、無条件で信じられるようになりたい。

 

 

何時になったら、わたしは当たり前になれるのだろうか。

 

 

 

欲望による破壊

自分の欲を理解することが大事。

 

そう聞いてから、少しずつ欲を探している。

 

ずっと、少しずつしまいこんでいった私の欲たちを少しずつ、ほり出す。

 

美味しいものを、ゆっくり食べたい。

人がいて、適度に賑やかなところにいたい。

きれいな服を着たい。

美しくなりたい。

誰かと一緒にいたい。

かまってほしい。

思い煩うことなく、眠りにつきたい。

願わくばすべての人が、思い煩うことなく生きていてほしい。

 

 

ごくごく当たり前の欲望をあまりにもしまいこんでしまうと、行き先がわからなくなるんだな。

 

だけど掘り起こしても、持て余してしまう。

 

私は私に、欲があることを、許せていない。

しまいこんで、しまいこんで、しまいこんでなお強欲だと思っていた。

でも無欲を気取っていた。

 

強欲な、私。

 

欲を受け入れたら、多分今の私は壊れてしまう。

壊さなきゃいけないのだろう。

壊れたらどうなるかわからないから怖いのだろう。

 

 

休みの日、誰にも会わないからといつもより少し綺麗な服を着てでかけ、少し誰かに会うのを期待していた。

わたしの欲は、少しずつわたしを壊していく。

ほんの少しずつ。

私はこんなに頑張っている。

努力を主張し始めたら終わりだと思う。

つまり、わたしは終わっている。

成果で、態度で、笑顔で、魅せろよ。

世界の切れ目と私の世界

頭の回転が速いのだと言われるが、私は早口になりやすい。

 

実際は結構ムラがある。遅い時は遅い。

 

綺麗な話し方を、ゆっくりと間を持った話し方を。それでいてきちんと的を得た話し方をしたい。

 今みたいに数撃ちゃ当たる方式じゃ無くてね。

  

もともと私はあまりおしゃべりができないタイプだったらしい。祖母は私が喋らないことを心配していたとこの前聞いた。そんな心配されてることに気づきもしなかったけれど。

 

無理矢理話すようにしたら頭の中のいろいろがとめど無く溢れることになったらしい。

 まだ世の中とうまく距離感取れてねぇんだな、と思う。

 

私の外の世界と、私の中の世界の切れ目は、きっとこの皮膚の上にはない。でも、どこにあるのだろう?

 

私は分からない。ぎゅうっと心臓より小さくなってしまうこともあるし、地球いっぱいに広がることもある。

大抵は、どこにあるかわからない。

 

みなさんの世界は、どこに切れ目がありますか?みんな、わかっていて過ごしているのですか?

 

私にはあなたのことが分からない。

私のことも分からないけれど。

たくさんのわからない人がみんな毎日生きていて、世界は不思議なところだと思うのだ。