自分の理屈っぽさに気づいて。
感情的な人間だと思っていた。
テンションがコントロールできないからだ。感情の揺れは外に出る。だから、なるべく論理的に物事を進めるようにしてきた。
私は、確かに感情的だった。だけど同時に理屈っぽくもなってしまった。論理的になろうとして、それが少し下手くそだった。
今、割と論理的な人間の中で生きている。そこで話す私は感情的で理屈っぽい。論理的とは程遠い人間だった。しかし、私の周りの論理的に見える人たちもまた、感情的で理屈っぽかった。
論理的になんて、世界は進まない。
私達はほんの少しの理屈っぽさを拗らせて、なんとか世界を把握しようとしているんだ。感情が、すべてを決める。
論理はつまり、世の中をちょっと面白くするガイドラインだ。感情とエネルギー渦巻く世の中を楽しく渡っていくための。
たくさんの感情とエネルギーに翻弄されるごとに、私はますます理屈っぽくなっていく。