who are you?

自分が何者かになっていく過程の記録。題は梨木香歩著裏庭の中の台詞から。

整えたら腰をやりました。

ここ半年、いや、一年くらい溜め込んでいた色々を解決しました。

 

使ってなくて更新で年会費取られる寸前のカードを解約し、

ほぼ使ってないネット回線も解約し、

いらぬ服と本とiPhoneを売り、

まだと風呂を掃除し、

いらない書類を捨てた。

 

で、服足りないから買ってきた。

 

大変だった!!!

 

 

毎日整えていれば、気付いた時にやっていればどうってことないんでしょうけど、そうもいかず。

グダグダと負のオーラを溜め込んでいたように思います。

スッキリした!

 

しかしまぁ、慣れないことしたからか、完全に腰やりました。

明日から大丈夫か…?

 

 

 

 

 

 

 

心からの休日

珍しく1泊2日の旅行にいってきた。

男女混合、年齢も割とバラバラなメンバー。

私、とーんと飛び抜けて最年長。世代が違う。

 

でも、距離感がちょうどよくて、趣味が合う仲間達。

 

 

ものづくり体験がたっぷりで大満足だった。

温泉も入り、美味しいご飯も食べた。

余裕を持って、好きなだけ何かを楽しんだ。

 

自由!本当の自由だ!

そしてやはり私は何かを作るのが好きだなぁと思う。

物をうまく作る人の手を見ているのが好きだなぁと思う。

 

心に何かが補給された。

 

ありがたいなぁと心から思う。

 

f:id:iohls:20180401234921j:image空が広かった。

 

 

 

年度末を乗り切れ。

報告書の最後の大波に突進している。

いくつ書いたかわからなくなるくらい報告書をつくった。これで最後だ。

切羽詰まっているのはおわかりいただけると思う!明日までやー!

 

やってるうちに、やっとなんかコツみたいなものが掴めてきた。

プロジェクトなんて暗中模索だと思ってだけど、そんな事ない。

先に報告書のイメージがあれば最低ラインが決まるのだ。

あとはプラスの成果を乗せていけば良い。

 

ずっとバックキャスティングしろって言われてだけどできなかったんだけど、やっと理由がわかったよ。バックするにも完成形が分かんなかったら、無理だぜ。

 

でもまぁ、今年バックする起点を手に入れた。

 

さてここを乗り切って、来年度は成長できるかな…

 

 

心から祝いたいほど

心から祝いたい時ほど、おめでとうが直接伝えられなくて困っています。

勇気振り絞ってお伝えするようには心がけているのですが、壁に負けること度々。

 

相手が頑張っている時ほど、気楽におめでとうとは言えなくて、私の言葉のあまりの軽さに耐えられない。

そしておめでとうと言えば、相手は時間をとって、そして返そうとするわけで、なんだか申し訳ない。だから、言えない。

 

自分が人から言ってもらった時はとても嬉しいし、全くもって問題ないことはわかっているのだけれど、なんでこうなるやら、よくわからん。

 

とにかく最近、心の中だけで強くおめでとうと思うことが増えた。

伝えなきゃ伝わらないのになぁ。

 

 

私はどこへ行く。

同僚が辞めるというので飲んで来た。

居心地が悪そうだった。それで良いと思う。

一番仲よくて、信頼していて、心許していたけど、それで良いと思った。

 

この選択は、きっとプラスだと思うよ。

 

さて、私はどこへ行くのだろう。

子供の頃から変わらない、小さなくらいじめっとした世界を引きずりながら。

 

解き放たれたいと思いながら、自分で自分に縄をかけながら生きている!!

 

自由とはなんだ!私は今、自由なはずなのに!一体なんの縄をかけているのだ!

 

 

ヨナ・コンプレックスとメサイア・コンプレックス

つまり、自分は変わっていない事に気付いて、原因の名前を認識しましたという話。

 

ヨナ・コンプレックスは変化に抵抗する心の働きの事を言うそうです。それが、成功に向かっていても、抵抗してしまう。

名前の元になったヨナはどうにも可哀想にも思いますが、この心の動きに名前をつけてくれた人には感謝したい。

名前が着くと、認識できるからです。

 

解決法としては、小さな変化を意識して起こして、慣らす。らしいですね。

 

思うに、ヨナコンプレックスは消えることはないのだと思います。それは、自分が立っている場所の基本仕様なのだと思う。どんな地面にも抵抗はあって、ゼロにはならない。

 

私は多分そこをスライドして行く一つの箱。

努力はその箱を押す力。

 

私たちはどうしてもその箱の前にある道の抵抗小さくしようと考えがちだけれど、それはとても難しいことなのだ。

 

そんなことをするよりは、じっくりと箱を押して、そしてゆっくりとでもほんの少しでも前に動かすのだ。動かし続けるのだ。そうすればだんだんと慣性の法則が働いて、動いている方が楽になっていくのだ。

 

多分そんな物理の法則と一緒なのだろうと思った。

 

 

しかし、変わり続けて私はどこを目指すのだろう。

基本的にメサイアコンプレックスで生きているお節介おばさんなのだ。

自覚して、止めようとしてるけど、エネルギーを上げるには、まだ私はその力を使うしかない。

 

違うんだ、そっちに行きたいんじゃないんだよ。

 

 

私はどこに向かう。

ここに居たくないということしか、わからないまま。