who are you?

自分が何者かになっていく過程の記録。題は梨木香歩著裏庭の中の台詞から。

心から祝いたいほど

心から祝いたい時ほど、おめでとうが直接伝えられなくて困っています。

勇気振り絞ってお伝えするようには心がけているのですが、壁に負けること度々。

 

相手が頑張っている時ほど、気楽におめでとうとは言えなくて、私の言葉のあまりの軽さに耐えられない。

そしておめでとうと言えば、相手は時間をとって、そして返そうとするわけで、なんだか申し訳ない。だから、言えない。

 

自分が人から言ってもらった時はとても嬉しいし、全くもって問題ないことはわかっているのだけれど、なんでこうなるやら、よくわからん。

 

とにかく最近、心の中だけで強くおめでとうと思うことが増えた。

伝えなきゃ伝わらないのになぁ。

 

 

私はどこへ行く。

同僚が辞めるというので飲んで来た。

居心地が悪そうだった。それで良いと思う。

一番仲よくて、信頼していて、心許していたけど、それで良いと思った。

 

この選択は、きっとプラスだと思うよ。

 

さて、私はどこへ行くのだろう。

子供の頃から変わらない、小さなくらいじめっとした世界を引きずりながら。

 

解き放たれたいと思いながら、自分で自分に縄をかけながら生きている!!

 

自由とはなんだ!私は今、自由なはずなのに!一体なんの縄をかけているのだ!

 

 

ヨナ・コンプレックスとメサイア・コンプレックス

つまり、自分は変わっていない事に気付いて、原因の名前を認識しましたという話。

 

ヨナ・コンプレックスは変化に抵抗する心の働きの事を言うそうです。それが、成功に向かっていても、抵抗してしまう。

名前の元になったヨナはどうにも可哀想にも思いますが、この心の動きに名前をつけてくれた人には感謝したい。

名前が着くと、認識できるからです。

 

解決法としては、小さな変化を意識して起こして、慣らす。らしいですね。

 

思うに、ヨナコンプレックスは消えることはないのだと思います。それは、自分が立っている場所の基本仕様なのだと思う。どんな地面にも抵抗はあって、ゼロにはならない。

 

私は多分そこをスライドして行く一つの箱。

努力はその箱を押す力。

 

私たちはどうしてもその箱の前にある道の抵抗小さくしようと考えがちだけれど、それはとても難しいことなのだ。

 

そんなことをするよりは、じっくりと箱を押して、そしてゆっくりとでもほんの少しでも前に動かすのだ。動かし続けるのだ。そうすればだんだんと慣性の法則が働いて、動いている方が楽になっていくのだ。

 

多分そんな物理の法則と一緒なのだろうと思った。

 

 

しかし、変わり続けて私はどこを目指すのだろう。

基本的にメサイアコンプレックスで生きているお節介おばさんなのだ。

自覚して、止めようとしてるけど、エネルギーを上げるには、まだ私はその力を使うしかない。

 

違うんだ、そっちに行きたいんじゃないんだよ。

 

 

私はどこに向かう。

ここに居たくないということしか、わからないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何者か、語れるようになれ

会社の面談で言われた言葉です。

君は何者なの?それを言語化しよう。わかったら、教えてね。

 

 

少なくとも自分がこのブログを始めてから3年くらいが経とうとしている。

その初回で、私は何者かになりたいと、強く意識していた。

 

 

建設的に毎日は過ぎている。

私はまだ、私が何者であるかを語りきれない。

 

器用貧乏で、凝り性で、性質と仕組みが好きな私。

 

名のつく職にはつかないだろうと子供の頃から思っていた。

 

これから、私の職を編み出さなくてはならない。

 

 

 

助け舟は結構頑張らないと来ない。

うわーん、もうむりわかんないよたすけてー!って半年以上言い続けてたら、すこし助けてもらえるようになってきました。

私が悩みをうまく言えないこともわかってもらえたんだと思う。

めげないことは大事ですね。

 

今助けてもらえずに辛い方、私と同じタイプかもしれません。

なんか大丈夫そうに見えるらしいです。

大丈夫じゃないのに!!!

 

しかし、助けてもらえると、頑張らなきゃなりません。

がんばるぞーー!

しあわせな今について。

私は一体どうやって生きていきたいのかと思い悩みながら床に着いたら、不思議な夢を見たので軽くメモしておこうと思う。

 

それは祖母が、私の振袖を選ぶために展示会に行き、その展示会に一緒に行った祖母の友人と話している時の情景だ。そこに私はいない。

祖母の友人が、あの着物がほんとによかったよあれにして良かったと言っていた。

祖母は、本当に。私は1度もあんなに良いものを着たことがないと言っていた。

 

実際、私はその展示会で1番大事そうに飾ってあった振袖を興味本位で試着してしまい、やはり良いものは良いもので、着物好きな私と祖母はそれに魅せられてしまい、祖母はそれを買ってくれたのだ。

さすがに高かったので、私は辞したのだけれど、祖母はもうこれにしなさいと言って聞かなかった。

 

きっとそれは、私がいなくなった後に本当にかわされたであろう情景だ。

 

祖母は本当に、きっと振袖を着たことがなかった。嫁入りの白無垢も着たことがなかったそうだから。それは祖母の葬儀の時に知ったのだけれど。戦後の混乱の中で結婚した多くの夫婦が、そうだったのだろう。地道な努力で、相応に豊かになった人だった。

 

よい着物は、夢占いによると幸福の象徴だと言うことらしい。そして、祖母の夢は警告夢だと。

 

世の中は今、実に幸せで、豊かだ。

私はその只中にいて、それを享受している。

 

その事を、忘れちゃいかんという意味なように思えた。あとは、早く大人になれと言われてるのかな。

 

解釈違ったらまた現れてくれるだろうか。

祖母は私を甘えさせてくれた、唯一の肉親なのだ。いつだって、会いたいのである。